犬を喰う

勤めて3週間が経った。続ける自信は今でもない。今のところ続けるけれども、会社はロケットを作っている。
 
五月の中ごろ、学生時代の先輩から中日のデーゲームに行かないかと言う誘いでの電話があった。断り、さいきん就職が決まったと話すと一体どんなと問うた。派遣の事務員であった。話を聞いた先輩は、コピーライターの職をわたしに紹介して遣ると言い始めた。男はR社で求人雑誌の企画をして居るので、うちで働かないか、それともライター事務所の人に会わせようかと持ち掛けてくれるのだった。「遣りがいのある好きな仕事をしないと」わたしはなんにしても疲れていて、追い立てられてあくせく働く気概を持てずに居た。神経衰弱で日中しばしば吐くので、どんな仕事にせよ夜毎遅くまで働く自信はとうていなかった。「ちゃんと遣れば出来るであろうに」静かに暮らしたいと言うと、「お前が事務職するのが想像出来ないのだ」と言って、わたしの将来を案ずる様子であった。先輩とは年に2、3度会うくらいの仲であるけれども、わたしが思うより後輩思いの好い人かも知れぬ。言葉の調子に配慮の欠けた部分があるのでなかなか情が伝わりにくい、優しい素振りを見て世話好きの所があったなあと思い直すのが常であった。自分の事を心配してもらうのは有り難いですね、にも拘わらずこうして電話越しに話していると端々に痛手を喰らうのは、心が弱って居るせいだろうか、受け止め切れない。「今は静かに、適当な仕事で生活をしたいのです」わたしはもういちど静かに返した。
「適当と言うけれども」
その男は言った。
「適当な仕事と思って遣ると、続けられないよ。上司を尊敬出来ないからやがて馬鹿にし出す」
そうやも、とわたしは思った。
「事務の仕事を辞めて関係者に会ってみないか」
「勤めはじめですので」
「断れ」
あいそうですかと言うわけに行かない。今は緩くりと暮らして人間としての日々を恙無く勤め上げ、人間として持ちたるべき安定した心を持つのが、わたしのいっとう望む処であった。折角ご紹介頂っても、体力の加減で勤めた先に迷惑を掛けて返って先輩の顔に泥を塗って仕舞う心配もあった。もう少し調子が好くなったらと何とか話をはぐらかし、電話を置いた。そうして1ヶ月近くが経った。朝な朝な両親の、犬ののしり合いのようなけたたましい喚き声で目を覚まし、カーテンの布から透ける陽の光を見る。蒲団をしまい弁当を詰め、五月神社と脇にある田んぼを通って、その会社に通います。勤めてから三日ともなく、わたしは自身の上司に就いて「あの卑しい」「あの厭らしい」「あの言い訳がましい」と言った言葉を修飾するようになった。尊び敬わんにしても些か早いというのがわたしの印象であるが、いったい可哀相な凡夫であった。この嫌に粘つく珍奇な男について先々書きたいと思うかも知れないが、本日の処はいまわたしの目の前でフィリピーナ相手にメールを打ち、ずいぶん気を好くして居ることだけ記すとする。わたしはクリンルームと呼ばれるフロンの臭い漂う工場の一室を自分の机として宛がわれた。そこでの事務員はわたし一人であるので、この小さき男が納品のため客先に出掛けようものなら、いよいよ一人ぽつり、ゆるりと仕事を熟すことが出来るのであった。時間中の殆どが座り仕事で気忙しい様子は余りなく、その点でわたしはこの環境にたいへん感謝して居た。書類の作成は少しややこしいけれども、じきに慣れるだろう。気は弱いが仕事を理解できぬほど馬鹿でも無かった。勤務の間は平生和やかに振舞い、もともとの体格も好いもんだから、工場の人はわたしの体調が悪いと思いも寄らぬふうだった。寧ろ若いお姉ちゃんと言うことで優しく在る。働く少し前、わたしにはるんぺん的な暮らしに近しい期間があったので、わたしの生活は余程程度が好くなったように感じ入った。
 工場の人はロケットの部品を洗うのが忙しいばかりに、好い歳をして一人鰥夫が多く居た。結婚して居るのは7人中2人と言った所か。男性の職場であるから、身なりを気にせずその侭年を取って居るようで、太り散らしだらしの無い腹を抱える人も居る。その人はおそらく四十半ば、白髪交じりの天然パーマで、目がくるりとして可愛らしいが、兎に角ぽんぽんの腹が歩いて居る。如何に荒んだ食生活かを窺い知るに容易な醜態満ち満ちるこの腹。男は決まって昼食に仕出し弁当を取り、飽き足らずカップラーメンも一緒に食べる。蒸らす間に弁当むしゃむしゃ、魚は好まず、アジフライや焼ジャケの日には他の人に遣ってしまって、弁当に不満があるから表情に影を落とす。午後の休憩時間はそこらに在るものを食べて過ごし、先日その人は「アイス」と呟いた。工場内を取り仕切る社長の奥さんは聞き逃さず、早口に「なに、アイス? アイスくらい遠慮しなくても奢ってあげるわよ」と気前好く、次の日の冷凍庫には6本入りのアイスバーが2、3箱入っていた。この奥さんは休憩中のおやつにと甘いもの、塩辛いもの、ア イスやジュースの類をどっさり買って休憩室に置いておくのを常としていた。旺盛なのは腹の人だけでなく、工場のシステム全体が食いしん坊であるようだった。人は食べ物があるとそれに群がり、大よそ翌日に菓子は袋のみと為った。またある日、奥さんに声を掛けられ挨拶をすると、「Sちゃんのためにシュークリームを買って来たけど、昨日食べた?」と訊ねるので、わたしは知らないと答え、言われてみれば朝、食堂の机の上にシュークリームの袋が放ってあったのを思い出した。「なにー! また誰か食べたね! Sちゃんの分って言ったのに! あいつにはメロンパンをあげたのに、シュークリームまで!」それで奥さんは代わりにと焼きそばパンをわたしに与えた。よく分からないが、兎に角シュークリームは焼きそばパンに成り代わり、場内でその出来事は落着とされた。こうしたことはまま起きた。わたしもたいがい食い意地が張って居るが、物欲の質に違いがあるのだ、何かこう、独り生活が故の荒んだ食生活、自己管理の行き届かなさ、粗末さ、哀愁と孤独、積み重なる年月が滲み出る、そんな貪欲さであった。
 「そんなに食べて大丈夫ですか?」わたしはラーメンを貪り食って居る男に声を掛けた。特に気にしない様子で、不乱に麺を啜っている。こんなに食べて続けて居ては腸は休む間もなかろう、腸内は異常発酵を繰り返し、およそ早死にだろうよと物憂げになって眺めて居ると、痛風のため杖をついた若い男がわたしの前を通り過ぎて行くのであった。
 工場の少し離れた場所には二階立てのビルが在る。こちらに本元の事務所があって、会社の偉いさんや営業の人、事務員の女性が数名働く。そこに居る正社員の女性の一人が新参者のわたしを何かと気に掛けてくれ、彼女は10年選手なので会社の内情にも詳しかった。一昨日はキレートレモンの試供品が当たったということで、お裾分けとわざわざ工場まで持ってきて下さるのであった。「ちゃんと名前を書いて冷蔵庫に入れないと、工場の人は飲んじゃうから気をつけて」と言うので、忠告通り名前を書いて瓶を冷やしたが、次の日にはもう無かった。それをさきの女性に話すと、「あの人たちは犬みたいな人だから、そこにあれば何でも食べてしまうのよ」と自分のことのように酷く憤慨した。わたしと言えばそれがもしチョコであったら怒りもしたかも知れないが、そうでないので特に腹立だしい様子がなかった。女性はそさくさと自分の机の横から封の開いていないキレートレモンを一本取り出し、瓶のあちらこちらに「N森」「N森」と太いマジックで名前を書き始めた。太い。書き終わると軽快にペンの蓋を閉めて、「これで冷蔵庫に冷やしても安心よ、はい」とそれをわたしにくれるのだった。わたしは恐縮しながら礼を言って受け取り、工場に持ち帰った。さらのジュースは明らかにわたしの所有で在ることを示している。こんなの厭らしくて冷やせない。
 
にしても犬とは言われてみればそのようである。
「あのう、こちらの納品書はどうしたらよいでしょうか」
「ワンワン」
「ああ、ここに置けば好いのですね、有り難うございます」
「ワンワン」
「どう、どう、どう」「クオーン」
と言った処だろうか。わたしはなだめる。彼らは今日の日も貪る。畜生の浅ましさがわたしの日々を辞めさせることはない。もっと他の、もっと別の。わたしは此処で何時まで持つだろう、続けようもう少し。