パパンの電話

 週のはじめの仕事が終わった。楠雅は電話を取った。楠雅は父。母の勤め先の元同僚の、清水さんからの電話であった。清水のおばさんは母に代わってくださいと父に頼んだ。それで父は受話器を電話機のそばに置いて、叫び声で「電話の長い人から電話」と母を呼ぶのであった。露子はあわてた。母の名は露子。彼女の夫の声は家じゅうに響き渡り、また向こう岸に居る彼女の友人にも届いたに違いなかった。露子はあわてた、が、客人に改まって謝るのも具合が悪いので、止むを得ず平静を装った。電話はすぐさま切られた。今までに無く用件のみで済まされた。父は母に背を向けテレビに向かって、ちょうど時間は東京フレンドパークⅡであったから、大声を上げて興奮し出した。月曜日の晩、その夫婦はふたり揃ってテレビにあれこれ騒ぐのを楽しみとして居た。然し父は今日我が風変わりな行動のためひとり切りである。関口宏は笛を吹いた、清水さんは事故に遭った。
「好かん人」
電話を置いて、女は夫をにらんだ。夫が耳を貸さず妻を無視するので、行き場のない妻は娘の名を呼び子供に言って聞かせた。「お父さんいやらしいんやで。いま清水さんから電話掛かって来て、保留もしんと電話下に置いただけで、「電話の長い人から電話」って呼ぶんやで。そんなん清水さんに聞こえるやろ、清水さんもすぐ電話切ってしまったわ、ほんまにいやらしいわ」
わたしは終始そばで見ていたので、言われずともことの次第をわかって居た。部屋がひとつしかない。
「ほんまに我が身さえ良かったらいいんやから。ほんまに怪しからん人や」
露子の気は沈まぬようであった。
「清水さんもな、電話長いもんやから、そやさかいに電話取りたくなかったん。森さんも清水さんの電話はほんまに長いって、もういやや言うとった。清水さんも清水さんやわ。清水さんの娘さんうちの会社入るのわたしに口聞いてほしいなんて。自分で頼んだらええねん。そんで娘さん会社入ったらわたしが教えなあかんねん。娘さんは働くの2ヶ月の約束って言うとったけど、今やってるところのパート休んでうちの会社くるわけやろ、そのまま居座るつもりなんや。今の働いとるとこ嫌なんやろか? そりゃ嫌やろ。それにうちの会社ボーナスがええから入るつもりんなんやで。そんで暇になったら首切られるのはわたしや。歳取っとるから。会社はパートに容赦ないからな。もういらーんってそんでおしまいや。もう61やし、ええねん、若い人が入ったらええねん。そやけどまたわたしがナイフの使い方おしえたらなあかんやろ。もうわたし無理よ、新原さんお願いねって新原さんに頼んだったわ、そやけど結局わたしが教えるんやろ、もううっとおしてかなわんて。そやけどお父さんはほんまに好かん人やわ」
わたしは黙って聞いて時折肯いた。この話もまた、この数日幾度となく繰り返さたことだった。目新しい情報がひとつもない。清水さんの娘さんが母の会社に勤め続けて母の首が切られれば、父も今の勤めを辞めて、両親は里に帰るだろう。そうしたら私はひとりでこちらに住むこととなる。ひとりになれば、わたしはいよいよ名古屋に居る意味をなくしてしまった。なくしたとき、わたしは何処へ行くのだろうか。我が身の生計は成り立つのか。生活する張り合いを持つのか。間もなく来るかも知れぬ出来事に少々の不安がよぎったが、すべては仕方の無いことだった。わたしは抜け出して湯船に浸かりたいと思った。そして出来れば、そこは静かなのが望ましい。かしましい女の話が止まらないので、
「お父さんは気違いだから、仕方ないよ」
と言うと、
「ほんまにそうやで、気違いで…」
止まぬ。やかましい。父が悪いのは明白なので、父は決まりを悪くして居る様子であった。かと言って母のけんけんな態度が長らく続くので、怒鳴り返すことは無いにしろそのかわり間じゅうテレビにエールを送り続けた。いったいその様子の必死であること。我が身の中傷を掻き消さんかのような、盛大なる声援が、母の向こうで鳴り響いた。ホンジャマカは応援されて居る。
「野々村はほんまに駄目やな」
父はまんまん得意気に言った。野々村のダーツはたわしを当ててしまった。スタジオに落胆の空気が流れる。俺ならやってやるのに、という過信が男を輝かせ、遠くから聞こえる女の遠吠えをさらに後ろのものとした。狭い古びたアパートの一室、部屋はひとつであったが相容れぬ心情が広々とそこらを行き来した。男は誰も得とせぬことをやってのけるのをきわめて得意とした。策略も悪意もなく、あるのは変わりやすい心と頭の悪さであった。可哀想なお母さん、可哀想な清水さん、可哀想な野々村真。お隣の川尻さん、うるさくありませんか、すみませんです。ひとえに、父さんは得体の知れぬ中年女に母を取られる思いがして、ふいにさみしくなりいやことを言ってしまったのだ。残念で不器用な父は何時も遣りようを間違えるから、馬鹿で可哀想だ。ヒューズが飛ぶ、電源が落ちる、されど父は平和に暮らした。母はこの不憫な男を愛し何時も横に居た。夫ももちろん然りであった。それでわたしは、今のところも真っ直ぐ育って居るのです。